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美意識は必要なのか?ー世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」ー

「美意識」という言葉。耳にすることはあるが、何ぞやと聞かれたら答えに窮する人も多いのではないだろうか。

 

大辞林 第三版によると…

美を意識し、理解する心の働き。芸術や自然の美を味わう時に働く意識

 と定義されている。

 

経営においてこの「美意識」が重要である述べているのが、電通、BCG等を経て、現在は組織開発・人材育成を専門としている山口周氏による世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」である。

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 山口氏は本書で以下のように綴っている。

グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込む、あるいは、ニューヨークやロンドンの知的専門職が、早朝のギャラリートークに参加するのは、虚仮威しの教養を身に付けるためではありません。彼らは極めて功利的な目的のために「美意識」を鍛えている。なぜなら、これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスのかじ取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです。

 

(「忙しい読者のために」より) 

 

その理由とは、何なのか。本書で挙げられている3つの原因について簡単に紹介していく。

 

1. 論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある

論理的に意思決定や問題化解決を図ろうとした場合、その過程において様々な情報を集めたり、因果関係を探ったり、仮説を検討したり…と大変な時間がかかる。また、理性的にシロクロ付けられない問題にについて、論理的に答えを出そうとしてしまえば、意思決定が行き詰ってしまい、ビジネス自体が停滞してしまうことにつながりかねない。複雑かつ、変化の激しい現代にとってこのような論理偏重による問題が起きてしまえば致命的である。

 

差別化が困難になるという問題もある。論理により導かれた解は、アカウンタビリティを保持することとなる。アカウンタビリティとは、「なぜそのようにしたのか?」という理由を説明できるということであり、プロセスの言語化が可能であるということである。説明ができるということは、素晴らしいことであるように思えるが、この点が問題である。言語化できるということは、誰でも理解できるということである上、再現可能であるということになる。これによって他者と同じものが作り出せるようになり、模倣合戦が繰り広げられる。経営というのは基本的に「差別化」を追究する営みであり、この市場で勝ち抜くためには、コスト・スピードを重視せざるを得ない状況に陥る。

 

2.世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある

 全地球的規模での経済発展が進展していった結果、世界中の多くの人々が自己実現の追究をすることが可能になった。マーケティングの側面から見ると、人の承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識を市場に投入する必要があるということになる。

パソコンのライフサイクルの変化を考えてみるとイメージがしやすい。最初は、記憶容量や計算機能などの機能面の充実を商品の選択の基準にしていた。しかし、機能面の充実が多数ブランドで発生し、差異があまり大きくなくなると、今度はデザイン性やブランドといった感性に訴える要素が選択の基準に代わってくる。この時期を通過すると、デザイン性に劣るブランドたちは淘汰されている。市場のデザイン的な側面が一気に高まった状況である。すると、次に訪れるのは、「自己実現的便益」を重視するフェーズである。「そのような人なのですね」というイメージ、メッセージが伝わるようなブランドを購入するようになる。MacBookAirをもってスタバでキーボードをたたいている彼は、「そのような人だ」と周りから規定されることになる。

私たちはもはやアップルという会社をIT企業ととらえるよりも、ファッションの会社だと考えた方がいいのかもしれません。なぜなら、アップルが提供している最も大きな価値は「アップル製品を使っている私」という自己実現欲求の充足であり、さらには「アップルを使っているあの人は、そのような人だ」という記号だからです。

 

(104ページより)

市場全体のファッション化が進み、感性的価値をいかに生み出すかが重要になってきたのである。 

 

3.システムの変化にルールが追い付かない状況が発生している

変化の激しい現代社会において、法整備が追い付かないという問題が発生している。この状況下において、明文化された法律、ルールを拠り所に判断を下す、いわゆる実定法主義は結果として倫理を犯す危険性がある。経済性を求め、法律で禁止されていない以上大丈夫だろうと踏んで、事業を開始する。それが利益を求めるあまり、次第に限りなく違法に近い領域までエスカレートする。やがて、モラル上の問題をマスコミや大衆から取りざたされてしまい(外部からの圧力)、謝罪の後、事業の修正・更生を図る。このようなケースが起こり得る。

このケースにおいては、内部的な規範が全く機能していないことが分かる。経済性をきっかけに始まり、外部からの圧力を受けて鎮火する。自分に「これは真だ」「これは善だ」「これは美だ」というモノサシ、つまり美意識が明確に内在化されていれば、目の前でまかり通っているルールや評価基準に対し、相対的な見方ができるようになる。要は、外部的な規範を鵜呑みにせず、自らの美意識、モラルと照らし合わせるということが意思決定において重要であるということになる。

 

 

なぜ美意識が必要なのか?という3つの要因について簡単に紹介してきた。美意識は、現代社会において、適応するため、勝ち抜くためには必須の感覚であると言えるだろう。

本書では、後半にかけて、脳科学と美意識との関連性や、どう美意識を鍛えていくかなど、上記の3つの要因に興味をもったならば、楽しんで読み進めることができる内容となっているため、ぜひ一読していただくことを推奨する。